歴史の分岐点「ベルリンの壁」をよく知るために観光したい5つの場所【ドイツ旅行】
どーもゴマ男です。
今回はドイツの首都ベルリンを訪れました。
ベルリンの町並みに未だ残る歴史の跡「ベルリンの壁」。
今回は誰もが知る歴史の大きな節目ベルリンの壁に纏わるの観光地を見てきましたので紹介します。
- そもそもベルリンの壁とは?
- ベルリンの壁観光の登竜門「イーストサイドギャラリー」
- 検査官と一緒に記念撮影!「チェック・ポイント・チャーリー」
- 生々しい事実を残した「テロのトポグラフィー」
- 未来と過去をつなぐ「ポツダム広場」
- ベルリンの象徴的存在「ブランデンブルク門」の知られざる歴史
- 最後に
そもそもベルリンの壁とは?
東ドイツと西ドイツを隔てていた壁。
1989年に崩壊した壁。
と言うくらいの知識しかありません。
ということで、この記事で再学習しましたので、
時間のある方はこちらへもどうぞ。
ベルリンの壁観光の登竜門「イーストサイドギャラリー」
「ベルリンの壁」観光で一番人気と言っても過言では無い「イーストサイドギャラリー」。
Ostbahnhof駅からWarschauerstr.駅までに残された全長約1.3kmのベルリンの壁を様々なアーティストが彩った世界最長屋外ギャラリーです。
多くの作品がある中で、
もっとも多くの観光客を惹きつけたのがこちら。
東ドイツの国家評議会議長だったホーネッカーとソ連のブレジネフがキスをしている衝撃の作品。
しかも、これはノンフィクションではなく実際にキスしていたそうです。
(当時のロシアでは男性のキスは親愛を表す意味で普通に行われていたとのこと。)
多くの作品がある中には日本の「富士山」も。
日本地区への迂回路、、?
イーストサイドギャラリーはシュプレー側沿いにあるので、
壁歩きに疲れた時は川辺でゆっくりするのも気持ちいです。
検査官と一緒に記念撮影!「チェック・ポイント・チャーリー」
国境検問所だった「チェック・ポイント・チャーリー」。
検問所と言いつつ、通過できるたのは外国人だけだったそうです。
当時は厳しかった検査官も今となっては優しい観光ガイド。
みなさん記念撮影しています。
隣にあるのは「壁博物館」。
壁を乗り越えようとして殺されてしまったエピソードなど当時の歴史が生々しく語られています。
歴史を楽しむだけでなく、伝えていくことの大切さが込められています。
生々しい事実を残した「テロのトポグラフィー」
生々しく残った壁やナチス時代の悪行を記録した展示場です。
歴史を風化させないために無料展示となっています。
当時の様子が生々しく残る壁です。
壁のそばには当時の地下牢が。
他の展示物とは違い当時の色、雰囲気をそのまま残された展示物です。
未来と過去をつなぐ「ポツダム広場」
ベルリンの高層ビル街ポツダム広場。
さすがGDP世界4位のドイツだけあって、オフィスマンがスーツで闊歩したい広場です。
そんな超先進的広場ポツダム広場にもベルリンの壁は顕在しております。
加速する時代の中でも昔の教訓を残そうとする強い意思が感じられます。
カラフルに彩られた壁の間には説明パネルの展示も。
ポルダム広場には嬉しいことにフリーwifiが通っていました。
気になることは検索しながら歴史の勉強をしましょう!ということでしょうか。
ベルリンの象徴的存在「ブランデンブルク門」の知られざる歴史
最後に紹介する「ブランデンブルク門」は文字通り壁ではなく門ですが、
この門は現在ドイツ統一の象徴としてドイツのユーロ硬化裏面に掘られている「ブランデンブルク門」ということですので合わせて紹介します。
ベルリンの壁建設により門の先には壁ができてしまい、東ドイツの西端となってしまった門。
壁崩壊後、ホテルや大使館などの再建が進み、現在は門はベルリンを代表する観光地となっています。
また、ブランデンブルク門の最寄駅「ブランデンブルク門駅」もベルリンの壁にまつわるエビソードを持っていますのご紹介。
もともと、ベルリンオリンピックに開催に向けて作られたウンター・デンリン・デン駅(後のブランデンブルク門駅)ですが、
ベルリンの壁建設に伴い廃線となり、幽霊駅となってしまいました。
ベルリンの飛躍に向けて作られた希望に溢れた駅が
ベルリンの暗黒期を象徴してしまったことは、何かの皮肉のようですね。
最後に
いかがでしたか、ヨーロッパで1番の先進国ドイツ、その首都であるベルリンに残る歴史の節目である「ベルリンの壁」は、
多くは無料で公開されており、歴史の悲惨さを忘れず過去から学び未来へ向かおうとする強い意志を感じることができました。
もう少し歴史の勉強をしてから再度訪問したい場所です。