そういえば、行ってきたんでした。 BTW, I have been there

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ゴマ男 Pick Up

【インドは何教?】仏教が始まり、イスラム教に侵略され、ヒンドゥー教が占める国【インドの歴史】

ムンバイのストリート。かなり味がある。

 
どうも、ゴマ男です。
 
旅行の楽しみの一つと言えば、新しい文化や歴史に触れ合えることですよね。
ムンバイを訪れた時にそこに溢れる様々宗教シンボルを観光しました。
 
 
インドの宗教と言えばヒンドゥー教ですよね。
また、インドは仏教が始まった国であり、イスラム教徒に侵略され、キリスト教徒であるイギリス人に支配されとカオスな背景を持つ国です。
 
今日はそんなインドの歴史を宗教を中心に見ていきます。
 

バラモン教の時代 

インド最初の宗教と言われる「バラモン教」。
BC13世紀にアーリア人がインドに侵入し、先住民を支配する過程で作られた宗教です。
 
こう書くとアーリア人が一方的に押し付けたような印象がありますが、
実際は自然を神とするアーリア人の信仰と先住民の信仰が結びついて生まれたものだと言われております。
 
この時のアーリア人の思想が、現在の牛を神格化する思想につながっているようです。
  
BC13世紀のアーリア人の介入後、バラモン教は長い年月をかけてまとめられてBC5世紀ごろ完成しました。
 
また時期を同じくBC5世紀頃には、仏教やジャイナ教が誕生しインド文化に多様性が生まれました。
  

バラモン教の衰退

しかし、隆盛を極めたバラモン教も同時期に栄えた仏教がインドに広まる1〜2世紀までに終わりを迎えます。
 
その理由の一つとして、バラモン教での儀礼であった祭礼の度に牛を殺す事に対する不満が市民に募っていたこともあるようです。
 
一方、仏教は無殺生を歌っており都市部の富裕層の間で仏教が流行りだします。
 

仏教の時代  

 
 
仏教はBC5世紀に、釈迦が提唱しうまれた宗教です。
 
先に牛の殺生が一因でバラモン教が衰えた話をあげましたが、他にも色んな説があります。
 
例えば自然崇拝色が強かったバラモン教に対して、哲学に近い初期仏教は都市部のインテリに受けが良く流行った説などもあります。
 
また、流行りだした仏教は、当時の王朝(BC3世紀)の後押しもうけ急激に広がっていきます。
このまま順調に広がっていくと思た仏教ですが、13世紀ごろに衰退してしまいます。
 

ヒンドゥー教の時代 

バラモン教も仏教に押されて消滅したわけではなく農村部へと移っていきます。
 
しかし、教義の難しいバラモン教は農村部において理解されることが難しく中々支持が集められませんでした。
 
そこでこんな感じに
「シヴァなどの神を崇めれば救われるよ」
「それらの神は像に宿るよ」
「だから像に祈りましょう。」
と、農村部の人でも理解できるように土着の信仰を取りいれ偶像崇拝へと形を変えました。
 
それがヒンドゥー教です。
 
この新宗教が農村部で流行り、それが都市部へと広がっていきヒンドゥー教ブームが始まりました。
 
一度は仏教によって農村部へ追いやられたバラモン教がヒンドゥー教となり巻き返しを図ったわけです。
  

大乗仏教の発生

バラモン教よりは流行っていた仏教ですが、ヒンドゥー教の発生により立場が怪しくなってきました。
 
仏教は少し難解な宗教であったため、インテリ受けの良かったのですがすべての人に等しく広がらなかったようです。
 
そこで、仏教も教義を寛容にします。それが「小乗仏教」と「大乗仏教」の誕生です。
 
今までの難しい教義がある仏教は頭の固い小さい仏教「小乗仏教」で、
新しい教義は祈るだけで救われる簡単な仏教な「大乗仏教」として流布していきます。
 
バラモン教がヒンドゥー教になる過程と似ていますね。
 
これが1世紀ぐらいです。
 
さらに、仏教も1世紀頃、仏像崇拝を始めました。
元々、偶像崇拝禁止していた仏教でしたが、ギリシャ彫刻を参考に偶像崇拝へ切り替えたと言われておりますが、
どことなくこのエピソードもバラモン教がヒンドゥー教へ変わる過程と似てると感じませんか? 
 

密教の発生

ヒンドゥー教要素も取り入れた仏教ですが、農村部では以前ヒンドゥー教には勝てなかったようです。
また、大衆化された仏教に、元々の支持者であったインテリ達が飽き始めてしまいました。
 
そんな時に生まれたのが、密教(700年頃)です。
文字では表現できない教義を個人に伝授すると言った秘密仏教です。
 
密教仏教を理解することは大衆にはできない事であり、秘密主義の排他的宗教を自分だけが学べるというステータスになります。
 
これが見事にインテリ達の心を掴み、仏教がまた流行りだします。
お金を持っているインテリ達は宗教施設に投資をしていきます。
 
それによって仏教の施設はどんどん栄えていきます。
 

イスラム教の時代 

密教が流行りだした700年ごろからイスラム教がインドに侵略してきます。
 
当時の世界情勢、イスラム地方の隆盛はご存知かと思いますが、
彼らの手がヒマラヤ山脈を超えていよいよ未開の地インドまで伸びてきたのです。
 
そして11世紀頃から本格的な侵略がはじまります。
  
侵略を始めたイスラム教徒が初めに目を付けたのが、豪華な仏教施設や寺院です。
前の章で説明したインテリ達がおカネをつぎ込んだ寺院です。
もちろん、仏教寺院だけでなくヒンドゥー教の寺院も同様に襲われたようです。
 
その結果、インドから仏教の僧侶たちは逃げていき、インドから仏教が姿を消していきます。
インドから姿を消した仏教ですが、他の国では受け入れられ、今では世界三大宗教と呼ばれるまで信者を増やしていきます。
  
さて、残されたヒンドゥー教はというと、
あるイスラム教の王朝時代は「ヒンドゥー教へ思い罰則を突きつけ」
違う王朝時代には「異宗教が共生していけるような世界を作ろうとし」
また違う王朝時代では「イスラム教以外を憎み排除しようとし」
 
ただひたすらにイスラム王朝に振り回されてる時代が7世紀終わり頃まで続きます。
 

キリスト教の到来 

16世紀ヨーロッパで宗教改革が起こります。
その流れはインドまでやってきます。
 
なんとザビエルも1545年にインドへ来ていたようですね。
 
それ以前からキリスト教はインドへ到来していたそうですが、インドの宗教的な歴史を大きく変えるほどの勢力にはなりませんでした。
キリスト教は現在までインドの歴史の表舞台に立つことはありませんでした。
 

イギリスの統治

イギリスが統治するようになりこれまでのイスラム教>ヒンドゥー教の構図が変わります。
 
これまでの支配者イスラム教はイギリス文化を受け入れず社会的地位が低くなり
一方、ヒンドゥー教はそれらを受け入れ社会的地位が高くなりました。
 
結果、インド国内のイスラム教からのヒンドゥー教徒への反発が強まりました。
この対立をを統治に利用したのがイギリスでした。
さすが外交の達人イギリス、目の前に敵を作ることで自分たちへの反発を減らしたわけです。
 
しかし、このインド人同士の対立に疑問を感じた人物がいました。
それがガンジーです。
これにより両宗教の敵はイギリスになり協力して闘う関係を作りあげました。
 

現在

その後は宗教的な大きな話はなく近代化してきます。 
 
そして現在のインドでは、
ヒンドゥー教:約80%
イスラム教 :約13%
キリスト教 :約2%
シク教   :約2%
仏教徒   :約0.8%
ジャイナ教 :約0.4%
となっています。
 

最後に

カオスなインド宗教の歴史を振り返りました。
 
 
外部からの影響を受けて変化してきたインドですが、その国は今なお発展途上です。
 
今後どんなインドへと変貌していくか楽しみですね。